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- 年齢を考える
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2011.05.11 Wednesdayもうすぐ40歳になるかと思うと考えるのがわが人生。
何やかんや言いながらも、今までのワタクシの人生は恵まれたものだと思う。
貧乏だったけども、超働き者の母親のおかげでひもじい思いはしたことはない。
希望通りに進学もさせてもらった。
小さいころは病弱だったけども、大人になってからはたいした病気をしたことない。←体を切ったことがない。
子供もくそ生意気だけども自分自身の子供時代のことを考えると許容範囲程度で、ボンは喘息もちだけどもとりあえず健康。
ダンナは老人やけども、それなりに稼いでくれて健康オタクで恐妻家でありながら愛妻家。
「はーははは、ワタクシの今までの人生に対する行いが正しかったからさ!」と思いながらも、本当に感謝しなければならんなと思う。
これも加齢の所以かと思うんですが、最近は自分よりの年上の人間は先に亡くなるは自然の成り行きかもと納得してしまいます。もちろん病気や事故など、年齢が関係ない場合もあるのですが。
ワタクシの友達の親御さんも亡くなっていき、それについてのうちのオカン様のコメントは
「だんだん知ってる人が死んでしまうわ。さみしいもんやな。」
そうしてそれに納得してしまう自分がいる。
自分が小さいころにお父さんお母さん役をしていた俳優さん、女優さんがだんだんとお亡くなりになっている。
そうして今のドラマで親役を演じているのはかつてのアイドルということもある。
そうして自分もそのお母さんになり、中年になっているのです。
そんな風に考えてしまうのも自分が子供を産んで育てるということを経験しているからだと思う。そりゃ親には長生きしてほしいけども、そりゃ無理な話じゃと頭で理解できるようになってきた。
だってあんなに小さくて、ふにゃふにゃで生まれた子供がたった10年で、足もでかくなって(24.5センチ)、親に生意気に反抗もするようになって
赤ん坊だったわが子が少年になったのを目の前にして考えると日々は流れるのが当たり前で、それと同時に親や自分も年取るのは当たり前やわ、と妙に納得してしまうわけです。
子供には成長してほしい、でも自分は老けたくないし、もちろん親にも老けてほしくない
ってありえない望みやろ〜!
と突っ込みたくなるのです。
あるがまま時の流れを受け入れることができるのも、ふけた証拠ってやつでしょうか、トホホ。
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- 広島とボン
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2010.08.03 Tuesdayこの間あつ〜い広島に行ってきました。最初は飛騨高山に涼みに行こう!と言っていたんですが、ボンが「絶対に広島に行きたい。」と言うので行くことに。
カナダの学校でも広島の原爆の話は勉強するようで、その影響でしょう。やはりカナダではアメリカとは違う視点から「原爆投下」という事実を平等に教えるのか、ボンの広島を勉強した後のエッセーでは
「僕はこんなことが起きたことは人間として恥ずかしいと思います。」
と書いていました。
私は世界で起こったことを平等に伝える事はとても重要だと思う。国が、何国人が、ではなく「人間」として考えないと平和はやってこない。
戦争をすれば勝つ側、負ける側、その両方があるわけですが、なんでその勝った負けたに焦点を当てて議論されるのかが疑問。
国に翻弄され、人生が狂ってしまったのは両側が同じなのに、受けた痛みは同じなのに、勝った負けただけに焦点を置いて、「戦争の悲惨さ」を伝える事を放棄する。
負けた側が全て悪くて、勝った側は負けた側が同じことをやっても「勝戦国」ということで正しくなる。いや、戦争して人を傷つけることは勝っても負けてもやってはいけないんです。戦争する事が間違いなのに。
負けた国の国民だって、自分の国に対して恨みがあり、それと同時に相手の国に対しても恨みはある。
人に嫌がることはしないようにそれぞれの国では教えるだろうに、おかしい。
結局はこれは両側の国の面子の問題なので、どうしようもないんだけどもね。
そういうワタクシの考えを交えながらボンに
「人を傷つける事はしないこと。それは絶対にやったらアカン。でもな、生きていたらそういうわけにもいかんのや。
自分が正しいと思ってやったことが、結果的に他人を傷つける事になることがある。でもそのときはボンが”人に嫌なことをしてしまった。傷つけてしまった”って意識しなアカンねんで。正しい事をしたかどうかは他人を傷つけてしまったこととは別やねん。人を傷つける事は悪い事やねんで。」
と話をしておいた。
ボンは真剣に展示物を見ていました。
ワタクシにとっては2回目の原爆資料館。
ボランティアのおばさんからボンはいろいろと話を聞いていました。
みなさんご存知のとおり、原爆投下直後に撮影された人物の写真はほとんどが後ろ姿。それは人々のやけどがあまりにもひどく、ファインダーをのぞくカメラマンの目から涙が止まらなかったので前から写真を撮ることができなかったからです。
当時カメラを持っていたのは、新聞社の人や特定の職業の人のみ。一般の人はカメラなんて持てなかった。
高価ということももちろんあったけども、カメラを持っているとスパイと思われて警察に連行されていた。今のこの時代とは全然ちがったんですよ。本当に今こうやってカメラを持って歩けることは幸せなことなんですよ。
というボランティアのおばさんの話。
そのほか、写真に写っている人の話や、原爆がどこに落とされたのかという説明を聞いて、最後には
今日は広島に来て、話を聞いてくれてありがとう。
いえ、お礼をするのはこちらです。
カメラってなんなのか、この今の時代とはまったく違う世界だったんだな、とワタクシにとってはこの話が印象的でした。
今は子供の成長記録として気軽にカメラを使って自分の子供の思い出を残す事はできるけども、もっとそれとは別に、自分が死んでも物体の中ではなく子供の心に残る意味ある言葉も残してあげられたら、と思った。
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- 昔の本
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2008.11.21 Friday昔、まだ大学生のころに読んでいた本を最近また読み返してみました。
その本は、アメリカの日本人補習校に通っている子供のバイリンガル教育とか、そんな感じの本。
当時は、なるほどな〜、と思って読んでいたんだけど、今読むと違和感が。
どちらにしてもその本は主に駐在の子供たちの教育について書かれたものなので、移住組みの我が家にはちょっと違う面もあるのも確かなんですけどね。
一点どうしてもおかしい!と思った点が、
日本の政治家がアメリカに対して失礼な発言(むか〜し、政治家がアメリカにはたくさん人種がいるからまとまりがないため識字率が低く学力にむらがある。日本は単一民族だから教育がいきわたり学力が高い、とか発言したお恥ずかしい事件がありましたよね?)
そういう発言を日本の政治家がすると、一番被害を受けるのが、現地の学校に通っている日本人。みんなに「日本人はアメリカ人のことこういってるんでしょ!」といじめられる。何気ない発言が海外に住む子供たちに迷惑をかけている
というくだりがあったんですが
たしかにあほな発言をする政治家はいる。
しかし、
同じ日本人だからって理由だけで
現地の小中学生が日本人をよってたかって槍玉に挙げるって
そのアメリカの学校の態度、教育制度は批判されんのかよ?
って思いませんかね?
当時は「日本の政治家はこれだから…。」と、現地の日本人を気の毒に思ったけど
今読むと
「そりゃ、その学校が悪い。その学校に通ってるアメリカ人がちゃんと教育されてないわ。」
と思う。
個々の日本人を政治的に日本につなげて批判するっていう行為は間違ってるんちゃかな。なので、この件に関して日本の政治家だけ悪いと言い切るのはいかがなものか。
もしうちの子供たちがカナダで同じような目にあったら、ただ単に「我慢しろ。日本人がやったことだからしょうがない。」とは言わずに、学校に hate crime(人種差別や感情的な憎悪により起こる犯罪)を取り締まれ!と抗議に行くと思います。
まぁこれは15年近く昔の本なので、当時の時代背景もあるのかもしれないので、なんともいえないんだけど。
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- 今日ふっと思ったこと
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2006.05.26 Fridayたまにふっと思うのが、このまま今日死んだらどうしようとか、縁起でもないけども親が日本で事故にあってしまったらどうしようとか、そんなことです。
日本にいる親が・・・と心配するのはご両親が健在で自身が海外に住んでいると一度は思うことなのでは?
こんなことをぶちぶちとぶーちゃんに言っていたら
「またそんなこと言ってさ。暗い暗い!!もっと哲学的に考えた方がいい。人間は絶対に死ぬもんなんや。"あんたが死んだらどうしよう"ってずっと前僕に言ってたけども、僕かって明日死ぬかも分からんしあんたに心配してもらわんでも確実にいつか死ぬわ。
みんなに起こりえることをいちいち気にもんでも仕方ないやろうが。
くよくよしたって仕方ないから人生楽しんだ方がエエで。」
と説教されました。
これに妙に納得してしまったワタクシ。
そうやなぁ、死んだらどうしようって確実に80年後は死んでそうやし。与えられた命をいつかはやってくる人間の寿命にこだわって暗くなってもいかんなと思いました。注:いつか死ぬから今死んでも一緒やと思うのはよくありませんわよ。
そう考えているとなんだか「死」とか「生きる意味」という言葉が頭をよぎってきました。
ワタクシ思うに「死」って悲しいとかそういう感情を抜きにしても本当に大きい出来事、人の心を揺さぶる出来事なんですよね。この年30代になると知り合いになった人と家族の話をすると
「兄が病気で亡くなって・・・」
「父親が事故で亡くなって・・・」
と身の上話を聞くことが多くなりました。
祖父母が亡くなってというのは年齢差も考慮すると聞く話ですが、人間ってここまで年齢を重ねるといろんな死に向き合ってしまうものなんだ、と。
ワタクシも父親、大学時代の恩師、友達と近い人を3人亡くしましたが、今でも恩師と友達のことを想うと涙が出てくることもしばしば。不思議なことに父の死に関しては、そばで看てきたので死というのが父にとっては自然な出来事として認識しているのか、あまり恋しく思うことはないんですよね。
友達のときは交通事故それもひき逃げで急に亡くなってしまい、それもボンと同じ年の子供がいて、お葬式の時も1歳半の友達の子供が地べたに座って無邪気に遊んでました。
とても心を引き裂かれる場面だったんですが、倒れんばかりに号泣しながら頭の中をよぎったのが友達はその子の中に確実に残り生きてる!!と。
この子は彼が生きた証なんだと。
その時はおじょうを妊娠したのが分かったばっかりの頃で、友達の死とそして自分の中に芽生えたばっかりの小さい小さい数ミリの命、この対照を間近に感じながらこれが人間なのかなと、なんで自分は新しい命を抱えてるのになんで友達は目の前で冷たくなってお棺の中にいるのかな、と。
4年たった今でもニュースでひき逃げのニュースを聞くとものすご〜く感情的になって興奮してしまいます。彼の死を悼み悲しみ、今でもちゃんと彼のことをこうして友達としてたまに考えている人間がいるんです、それはワタクシだけじゃないはず。
だから彼の存在はなくなったけど残ってるんですよね。
一緒に語り合ったことや残してくれた言葉は確実にワタクシに残っていて、それはこれからワタクシの友達になっていく人たちへの言葉として影響していくはず。
生きるって言葉の伝達
だと思うので、ワタクシが文章を書き自分を表現するのが好きな理由なんだと思います。立派な作家になれるわけもなく、立派な建造物を設計して名を残せるわけでもなく、人の心をひきつける絵を描けるわけでもなく、ただ思ったことを自分なりに考えて文字に残す。それは生きるために働いて、楽しんでという日常生活とは違った次元の「自分の存在、生を受けた証」のようなものを求めているのかとふっと思いました。
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- ネット社会
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2006.04.06 Thursdayネットって便利なんですが、一つ使い方を間違うと無意味に他人を傷つけてしまう道具になってしまいますよね。
と言うのも先日ぶーちゃんが小耳に挟んだ話なんですが…
ある人がBC州の学校の先生を評価するサイトを作成したそうです。で、そのサイトは各学校ごとの先生に対する評価を生徒が書き込むことで成り立っているものです。
そうするとそれを聞き知った先生がそのサイトを見つけ自分の評価を読んでみると
「授業がぜんぜん面白くない」
「どっか別の学校に転任させてほしい」
のような生徒の言いたい放題のコメントばかり。次の日先生は半泣きで学校で来たとか。
ぶーちゃんの話が終わった後ワタクシ一言
「何で先生はそんなに落ち込むわけ?何で泣くの?そういうサイトがあることについては腹立つけど。」
「そりゃあんた、自分のことがサイトでぼろくそに書かれてみ。誰だって傷ついてしまうに決まってるやんか。」
ワタクシそんなことネットで書かれたら怒り心頭に達してしまうかと思いますが、そんな公平じゃないこと、卑怯なことに落ち込まんと思います。
もし生徒が実名を出して先生のことを批判すればそりゃー落ち込むのもわかります。しかし匿名で一方的に先生の悪口を書く、そんな小汚いことをする生徒の言うことなんて信用しないし気にしませんわ。
だいたいそんなサイトで生徒が書きたがるのは先生の良い評価よりも悪い評価のはず。
直接文句は言えないくせに匿名という防具で自分を守り相手の気持ちを考えずに平気で「だって事実なんだもん」とネットで特定の人間を攻撃する輩の言うことなど蹴散らしてしまえ!!と思ちゃうんですけどね、ワタクシ。
転任してほしいと思うならちゃんと親に話して校長先生に直訴しろよって話です。ネットでグチグチ言ってる場合じゃないやろ!!そんな度胸がないからネチネチとネットで平気で人の批判をするんだわ。
根拠の無いことを言われて「はぁ?何言ってんのあんた?」と腹を立てることはあっても傷つく必要なぞ全くないのです。(仁王立ちになってふんぞり返っている姿をご想像ください)
と久々にぶーちゃんの前で熱くそして熱く語ってしまいました。
ネット社会、便利ですが今では誰でもアクセスすることができ実社会が抱えてる人間関係の問題(人間と対話できない、人間が傷つくことを知らない、人間が殺されることでさえゲームと同じ感覚)がそのまま仮想世界であるネットの中にも影響してきているのかなと思うのはワタクシだけではないはずですよね。
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- 幸せとは
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2006.02.01 Wednesday日本里帰り中に思わず納得してしまった宣伝のキャッチコピー。
積水ハOムの
「おばさんになっても今よりもっと幸せにしてくれるって約束してくれますか?」
30年後も幸せになろう〜♪積水ハOム♪
こちらの駅編
新婚時代などとっくの昔に終え、子供も2人出来て、まさに中堅カップルへと突入しているうちら夫婦ですが、このキャッチコピーを聞いて
「あ〜ほんまやなぁ。結婚してよかったなぁ。ラブラブカップルの時よりも今の方が幸せやなぁ」
とほんわりと素直に思えました。
若い頃、子供もいなくて自由だった頃、それはそれで幸せだったけども今と違ってがむしゃらで先のことを考えずに日々生きていた気がします。
ぶーちゃんと結婚したおかげで得たことでよかったこと、大変だったことは、主に仕事の面かしらね。仕事の勉強(いろんなソフトの勉強、経理、人事、仕事のマネージメント)や社会的に自分を鍛える道を与えてもらったと思う。
その他精神的な安定もぶーちゃんに与え、そして与えてもらっている。
こうして振り返れば大変なことばかりで(会社も倒産したしなぁ)今の方が不安材料もなく幸せなのが当たり前なんですが、大変だったぁというよりも「あんな経験もしました。」程度です。
今幸せなのも大切。
結婚したばっかりの頃はハッピーオーラを出しまくって幸せなのは当たり前のことであるけども、大事なのは結婚して数年、十何年、何十年経っても
「あ、やっぱり昔よりもっと幸せかも?」
そう再確認できること。それが結婚生活では重要かなと、ワタクシ、ハイムさんの宣伝で気づかせてもらいました。
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- 子供
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2006.01.29 Sunday最近ふっと考える3人目について。
まぁもう一人くらい産んでもいいかと思いつつ、産んでからのことを考えるとやっぱり断念というか諦めざるをえない。
理由としては
ぶーちゃんと二人三脚の自営なので産休は取れない
カナダには誰も産後を手伝ってもらえる人がいない。
そしてぶーちゃんも忙しいので手伝いはお願いできない。
その間の子供の学校の送迎等は誰がするのか。
全ての理由が仕事があるから出来ないといえると思う。
そこで思うのが、なんでだろう?と。
昔、今のような大量生産が主流となっていなかった時は将来の労働力として子供を必要としていた。
そして過酷な自然環境の中で子供を産み育てるという役割は一番大切なことだった。
それが今の時代になると
「仕事があるから…」
「私の人生の計画が…」
もちろん私自身もそう思う現代人であるわけだけども、何かがおかしい。
もちろん子供を育てる喜びというのはあるけども、子供をいかに教育し、立派な人間にそだてるか、そういったことを考えてしまうと今の社会では5人も、6人も子供を育てられるのは大金持ちしかいない。
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- 学歴
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2005.10.14 Friday学校のストライキが始まって1週間。今まではストに参加していた先生達も組合から3時間50ドルを支給されていたそうですが、裁判所の決定で組合の資金まで凍結されたようで…このストどうなるんでしょう?
ところでBC州ではグレード8からハイスクール(セカンダリースクール)入学になります。日本の制度とは違いますよね
と言うことは…日本でも少数派ですが15歳で就職ってないんでしょうか?
とぶーちゃんに聞くと「セカンダリースクールを中退するってカナダでは社会のはぐれ者あつかいやで。」
日本でも同じだろうけどね。
話はさかのぼること、高校時代の恩師の話なんですが、この恩師H先生は高校の時1年、3年と担任を受け持ってくれた数学の教師でした。
いえね…、ワタクシ数学は大の苦手…数学の先生が担任とは!!と絶句したのを覚えています。一学期の中間テストの時の数学の点数は忘れもしない49点。
赤点じゃないだけ幸せよ〜とるんるんでしたワタクシ。
「みんみんは…何とかならへんのか?」
と説教されました。そして先生にプリントやらなんやらで補習してもらい、それから数学の成績はうなぎ登り、そして高校3年間、数学はオール5で卒業。
まさか自分が数学が得意科目になるとは…と思い返すと今でも不思議。
数学が得意になるように導いてくれたことのみが理由ではなく、ワタクシこの先生は本当に尊敬しています。
ぶーちゃんと同じ年なんだけど…、当時もう先生は結婚して子供もいたけどね。←こういうときに年の差夫婦を実感します。
ワタクシの高校卒業後、先生はワタクシの母校を離れ転任しました。高校時代の友だちと先生を訪ねて赴任先の高校に行ったんです。
そうしたらその高校はどう見てもワタクシの母校とは違う。言っちゃなんだが、レベルの低い学校。
先生は実家の事情もあり、実家から一番近い偏差値の低いその学校に転任希望を出したんです。
進路指導質で先生と話をしていると、確かに赤本の学校名もワタクシの卒業高校の進路指導室に置いてあるものとは全然違う。
その高校は進学率が10%もなく、新入生が入ってきても夏休みが終わるとクラスの人数が3分の2は減っている。
等々の学校の話を聞かされて、先生のお蔭で数学の成績が上がったワタクシとしては聞くに堪えない話というか、腹立たしい話だったんですよ。
「私、先生のお蔭で数学が好きになったし、大学受験も頑張れた。先生は立派な先生だし。こんなやる気のない生徒ばっかりいる高校にいるなんて耐えられません!!」
って半泣きですわ。
そうすると先生が
「うん、確かに。最初は俺もイヤでな。家庭の事情でこの学校に来たわけやけども"何で俺がこんな高校で…"と落ち込んだし、どこかの進学塾の講師になろうかと真剣に考えた。N高校で生徒が中退するなんて話があった日にゃ、教師全員が引き止めたりしていたし、実際お前らの学年では1人しか中退しなかった。
でも違うんや。この高校は。みんな仕方がないから学校にきていて学校が嫌いなやつらばっかりや。終業のチャイムが鳴ったらみんな校門にダッシュするねんぞ。部活で学校に残る生徒もほんに一握り。
高校くらい出とかなアカンかな〜、親もうるさいしな〜、そういうふうに考えてみんな学校にきとるねん。
だから辞めたいってやつを無理やり引き止めてもそいつがかわいそうなんや。
あいつらの居場所は学校じゃなくて別のところやからな。
だから中退したいって言って来たら、辞めてどうするか。就職口を探してやるとか、専門学校を探してやるとかしてやらんとあかんねん。
これはN高校にいたら知らんかった別の高校生の実態や。もう気楽にやろうと思ってる。
人生は学校行ってナンボのものじゃないと思うしな。大学出た俺が言うのもなんやけど。」
この話を思い出しました。この話をしていた時はまだ20歳くらい。今から思い返してもやっぱりワタクシのこの恩師は素晴らしい人だなと思います。
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- 映画鑑賞
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2005.10.12 Wednesday
昔はよく映画を借りてよく見たんですが、最近は全然借りなくなったねぇ。
我が家が良く使っているレンタルビデオやさん「Blockbuster」なんですが、ここは延長料金がないんです。
旧作しか借りたことが無いから、新作は違うかもしれませんが、長々と延長しまくって借りるとお買い上げになり請求書が送られてくる…またはレンタル料金をクレジットカードで払った場合は勝手に引き落としされるとか…。
なら一週間レンタルじゃなくてもエエような…。
これはぶーちゃんが延長してもっていったときに店員から聞いた話なんでワタクシが直接聞いた話ではありません。
借りた映画は
「Guess who?」
黒人の女性と白人の男性の人種の違いのことが入り交ざった恋愛モノです。
(映画の中でも"black""white"と言う英語を使っていたのでアフリカ系とかヨーロッパ系とかあえて使いません。)
その映画では女性は父親が銀行マンで社会的地位もあり、裕福な家庭の出身。
男性は父親が小さい頃に家を出て、シングルマザーの母親に育てられた裕福ではない家庭の出身。
そして女性の父親は白人の彼氏がどうしても気に入らない…と言うストーリで最後はハッピーエンドで終わります。
ぶーちゃんと後日この映画について話していると
「あれは、白人の彼氏がナヨナヨしていてかっこわるかった。もっとかっこいい俳優にすればいいのに。」
いえ、それがこの映画のねらい目と言うか、この映画ではかっこいい白人じゃだめなのよ。
美人で活発な黒人女性とナヨナヨした気の弱い白人男性であるからこそこの映画の意味があると思うんだわ。
人種に対する固定観念、白人が金持ち、黒人が貧乏、白人が両親がいて兄弟がいて理想の温かい家庭、黒人がシングルマザーで母親が2つ仕事を掛け持ちして必死に子供を育てる家庭、そう言ったくだらない世界的固定観念がありますが、それに対して何か別のものを表現したかったんじゃないかったんだろうかね。
それは黒人だって金持ちがいるとか言う固定観念に対する反抗、そういう単純な主張ではなく、人種で判断するなって言いたいんじゃないのかしらね。ひとそれぞれみたら人種で区別するなんてありえないですから。
ここバンクーバーでもよく思うのはお金持ちの中華系の人が多いなぁってこと。ノースバンではイラン人のお金持ちも多いし。豪邸の立ち並ぶウェストバンクーバーの高校だって生徒は半分が中華系らしいです。
その反面
ワタクシだって「お金持ちの国・日本」出身だけども「1億円宝くじ当選」を夢見るビンボー。
イラン人の中にだってカナダで必死に働いている人もいて、それは中華系の人も同じこと。
なんとも言えないわな〜と思いました。
でもこういう米国の映画を見ると…なんだかいつもカナダは米国とセットで考えられがちですが、カナダとは違う国のような漠然とした印象を受けました。
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- 朝の連続小説
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2005.07.14 Thursday
こちらの日本語放送で放映されている連続小説「あすか」。
日本にいたときはNHK、それも朝の連続小説なんて全く見ていなかったのですが、こちらに来てからはこのケーブルテレビが唯一の日本語番組なので見ています。
どちらかというと日本と同時期に放映されているものよりも、再放送の分がお気に入り(現行の「ファイト」もこちらで放映されています)。
なんと言うか、日本人の良いところ良い部分を上手に表現しているなと思います。
それは多分自分も年を取り、経験を積み、人の親になったからと言うのもあるんでしょう。
去年の今ごろは沢口靖子の「澪つくし」でした。この今の年齢で見るからこそ分かる部分があった良いドラマだったと思います。
それを痛切に感じたのが、ある場面。
このドラマは要するに恋愛モノ、いわばロミオとジュリエットのような感じ。
時代背景は第2次世界大戦前。ヒロインとその恋人は結婚したいと思っている。が、2人の実家の家業が相容れない。お互いの家の面子もあり、この結婚には大反対の両家。
どうしても恋人と結婚したいと父親に頼むヒロイン。
そこでヒロインの父親は
「お前は親の言うことを聞かないから勘当する。
勘当したんだからお前がどんな奴と結婚しようとワシは知らん。
勝手にしろ。二度とこの家の敷居はまたぐな。」
と言うわけ。
これが若い頃のワタクシであったら
「親のくせに娘を勘当するだなんて信じられへん。何が勝手にしろよ!!アホか。家業が何よ!!ま、好きな人と結婚できるからエエけど。」
と熱く燃えたと思います。
今では逆にこの父親の深い愛情を感じ大感動して号泣。
生きていたらどうしても面子を立てなければいけないときもある。それがくだらないと思われても、そういう仕事に対する誇り、いくら家族のためでも出来ないことがある。親でありそして社会人でもあるわけ。
だからこそ、こうやって勘当するなんていうとんでもないことを娘に言って、娘の想う人と結婚させてやるのはこれまた愛情。
そういう時代があったことが間違いではなくてそういう時代があった、それは間違いでもなんでもなく事実。その時代にはその時の避けられない世間のしがらみがあり、そういう中いつの時代でも親は子供のことを考えていたんだわ。
今の人って自分を真っ直ぐ持たずに何かに傾きすぎなんじゃないかな?とも思ったり。
これは昔の時代の反動なのだろうか…。
自分の人生も大事に〜とかそういったことではなくて、自分の内にある譲れない部分、自分の信念、それを周りに合わせて曲げてしまっているような。そしてそうしないと人間関係が成り立たない、円滑に進まないような。
もちろん70年も前の日本の家族像と今の家族像が違うのは社会状況も全く違うので比べるのはおかしく、違って当然だけども。時代が違うからそこ今の時代にはないものがあった。
それを昔よりも今が良いとか、今のほうが昔より良いとか言えないわね・・・と思いました。
こんなこと考えるのも、海外で限られたものしかみられず、語り合う友達もいないんで、ひたすら自分の中で賛成派、反対派、いろいろ意見を交換して・・・と書きながら、ワタクシ分裂症?二重人格?・・・だわ。トホホ。
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