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- テレビ
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2013.01.21 Monday我が家には、テレビはハードとして存在し、ソフトはないのです。
って何のこっちゃ?
ただケーブル契約していないので、テレビは録画やレンタルしたものしか見られないだけ。
以前はケーブルを入れてたんですが、契約解除してからかれこれ5年ほどにもなるだろうか…。
冬のオリンピックの時には入れてたんだけどね。短期契約で。
ですが、みなさんテレビを見る時間がありますかね?
昼間はまぁ置いといて、夜なんてテレビを見る時間がないのです。
子供が高学年に上がり特にテレビを見る時間が取れないかも。
どんだけダラダラ要領悪く過ごしているのだろうか。
大体我が家の子供の時間割はこんな感じ
3時半ごろ帰宅
3時半から5時まではほぼ毎日部活と習い事(ボン: バスケ、サッカーとピアノ、おじょう:水泳とフルート)
5時から6時まで学校の宿題
6時から8時、夕飯と休憩
8時からピアノとフルートの練習
9時から日本語
10時就寝
かろうじて7時から8時の間にテレビの時間を入れられますが、たかだか1時間のためにケーブル契約するのも何だかもったいないような。
たまに、「英語が上手くなるには、テレビ番組を見ること」みたいなアドバイスが英語学校ではありますが、
すっかりテレビのない生活に慣れたので(というか、時間的な余裕がない)
この家には必ずテレビがあるって概念が間違っとる!
テレビを見ることは時間の無駄である!
人間はこうやってメディアにだまされている!
とすっかり、変子になってしまったワタクシであった。
でも日本に帰ったら毎日毎日、テレビを5時間くらい見てんだよね。
どいないやねん?って話かも。
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- 感謝する
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2011.11.13 Sundayこの間アフタヌーンティーに行った後にディジュリドゥの小さなコンサートに出かけたぶーちゃんとワタクシ。
ディジュリドゥの演奏者はシアトルから来ている有名な人だったんです。
結構面白かったかも。
それにぶーちゃんのディジュリドゥのお仲間もいい人ばかりだと思う。なんというか、何かを乗り越えているような人のような気がする。
その中で高齢のおばあちゃんもいて、この方はアメリカからやってきた人なんだけど、話をしていたら
「私、実は子供の頃日本に住んでたことがあるのよ。今71歳なんだけど、13才から16才まで東京に住んでたのよ。その頃は日本語がペラペラだったんだけどもう忘れちゃったわ。でも今でも日本の思い出は本当に楽しいものとして残っているわ。富士山も登ったのよ。」
とすごくワタクシのことを気に入ってくれてやさしくしてくれたんだけど。表面上は穏やかに話をしたんだけど。
ごめん、なんか悪いけど占領軍で働くアメリカ人の子供だったんでしょ?と気分が悪かったのです。
申し訳ないですが、何を言おうと私は日本人なのです、としか言いようがないんだけど。
ぶーちゃんにも同じように言うと
「僕は人間としてその気持ちは良くわかるよ。」
と言われました。
ここ一週間「二つの祖国」(山崎豊子)の小説を読んで感じた血が煮えたぎるような気持ちを感じながらいろいろと考えたんだけど
やっぱり両国にそんな過去がありながらも、あのおばあちゃんと別れるときにハグしながら「今日は楽しかったね」と言い合えることを、この上ない幸せと感じるその自分の気持ちに正直に生きてゆきたいと思う。
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- 呼び名
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2011.11.04 Friday今日は我が家でお好み焼き会。オカン様の友達とワタクシの友達とで昼に集まりお好み焼きを食べました。
そこで話題に出たのが
夫婦の呼び方。
オカン様のお友達はご主人も日本人なんですが、カナダで結婚生活を始めたので日本にいる夫婦のように
「あなた」
「お前」
のような呼び方をしないのよ。うちの夫婦は今でも名前で呼び合ってるから。なんだか恥ずかしくて「あなた」なんて呼べないの〜。
という話が出ました。今の若い年代の人なんかダンナに「お前」なんて呼ばせないでしょうが、オカン様の年代になるとそうなのかしらね?亭主関白ってやつで。
あとはカナダに住んでいると、日本人の友達の子供には名前で呼ばれ、「おばちゃん」と話しかけられることがないので、日本に帰ると「ボン君のおばちゃん」と呼ばれて違和感を感じる、という話をすると
わかる!わかる!
子供も親の友達のことを名前をさん付けで呼ぶしね。これはいくら日本語を話していても環境の違いよね。
と一同納得。
そういえば、ワタクシの友達がオカン様を呼ぶ時には
「お母さん」
と声をかけるんですが、それに対してボンとおじょうは
「なぁなぁ、○○さんってなんでばあちゃんのことを自分のお母さんじゃないのに”お母さん”って呼ぶの?」
と不思議そうな顔をしていました。この話をしても
「そうよね!」
と盛り上がりました。
そうしてみんさんとぶーちゃんは何て呼び合ってるの?ときかれたので
ワタクシ「おっさん。ぶーちゃん。じじい。」
ぶーちゃん「はにー。みんみん。ベイビー。」
と答えると大うけした。
一時子供がぶーちゃんのことを父親であるにもかかわらず「ぶーちゃん」とワタクシのまねをして呼び出したので止めてたんだけど(子供が親を名前で呼ぶのは個人的意見により好まない)、最近またこの呼び名は復活したなぁ。
- 8周年
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2011.11.01 Tuesday今年はカナダ移住8年目。
今回はオカン様もカナダにいるわけで、ちょっと例年より変わった記念日なのかも。
今ではカナダ生活も落ち着き、このままずっとカナダに住むんだろうな〜と思います。
子供達もしっかりと日本人というアイデンティティを持ちながらもカナダ人であるというアイデンティティもあり、そういう意味ではカナダに移住してよかったと思います。
日本語教育もボンの「10歳の壁」を無事にクリアし、もちろん日本で教育を受けた子供よりかは劣るのは当たり前ながら、日本語はそれなりに身についているのではないかと思います。
カナダに移住してから3年間はまったく英語も伸びなかったボンですが、今では本の虫。英語の難しい本も読み(ワテ、読めない。)
extraterrestrial(地球外生物)
という言葉が口から出たときは
「ヤバイ。この単語は大学に入って初めて知った単語じゃ。」←X-fileより
と焦ることもしばしば。
思い返せば
カナダ生活=日本語教育
という8年だったのだったのかも。
いろいろ悩み、イヤになった時もありました。自画自賛ですが自分自身を本当に褒めたいと思います。
そうしてビシバシの厳しい日本語教育にきちんとついてきてくれた子供達に感謝するわ。
オカン様がらみで母親の年代の S 市在住の日本人の方と話をする機会が増えたのですが、まぁこんなS市のような片田舎に住んでいる方々なのでいろんな経歴がありこの街にやってきたわけでして、
明るくて面白い!
「40年前にカナダに来た時はね〜。」
という話を聞いていると、いろいろ考えることがある。
そのうちの1人の方は、結婚する前は今のご主人はカナダ、その方は日本と文通を続けていたらしいんだけど、ある日航空券と指輪が送られてきたそうです。
カナダに旅立つ日に羽田空港に両親が送りに来てくれたときには
「お前が決めた人についていくというならついていけばいい。そのかわりもう親の死に目には会えないと思って行け。」
と言われたそうです。
「今でも37年前の父のその言葉は思い出すわ。父親の死に目には会えたけども、母親の死に目には間に合わなかったわ。でも仕方ないのよ。わかってたから。
本当は母のお葬式にも帰ることができたんだけど、やっぱり母がいないと自分の実家でも他所の家なのよね。
私はね、親の元で20過ぎるまで暮らしてきて、ずっと親のそばにいると思ってたんだけど、こんな遠くに来ちゃってね。でもね、まだ体が健康だから。それが一番幸せなことなのよ。」
と明るく言っていました。
面白かった話は
「カナダについたのはいいけども、ほんとにお金がなかったの。でもうちの主人はご存知の通りおしゃべりだし、それでお友達がいっぱいいて、結婚式も何もかもみーんなが協力してくれて全部タダだったのよ。ドレスも貸してくれて写真家も神父さんもみんな友達だったからタダでやってくれたのよ。
新婚旅行だって日本から駐在できていたお友達がいて”新婚旅行に行っておいで!”ってチェックを切ってくれたのよね。」
結婚式の写真は飾ってあったので見たことがあったのですが、まさかあんな立派な結婚式にこんな裏話があるとは!とびっくり。
やっぱり40年も前にカナダに移住した人間には今の時代の人にはないパワーがあると思うわ。
それに今の私たちよりももっと苦労してきたと思う。
何かを乗り越えて来た人の話は気持ちを盛り上げます。
話を聞いているだけで、今の悩みなんてつまらなくおもえて、なんでも前向きになれるんです。これはこの方の持つパワーだと思います。
生活が便利になると人間は退化するというのは本当なのかもしれません。
そうして先輩があんな昔にがんばってカナダで子供を育てることができたんだから、きっとワタクシだってがんばれるはずだ、と思いは新たになりました。
ワタクシもこの方のように若い人をプラス志向に変えていけるようなそんなパワーを持てるようになりたいな。
なんにしても家族(ぶーちゃんと子供)がいるところが自分の居場所なんだろうな。人気ブログランキングこの小話が気に入っていただけたらお願いします!!
- やっぱり子供だった
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2011.09.25 Sundayうちのボン、他所の家では行儀良くしているようなのですが、いざ自分の家だと言うことをなかなか聞きません。
まぁ自分の家でいい子で、他所の家で問題行動を起こすよりはエエねんけど。
オカン様も
「何でボンってこんなに言うこときかへんの?」
と驚いているという。
いえ、これでもマシになったほうなんですけど。
それでこの間もオカン様に
「何でアンタはママの言うことを聞いてすぐにやらへんのか?あんたな、ママとあんちゃん(弟)は、ばあちゃんが何も言わんでもちゃんとやってたのに。アンタはママの子供やろ!ママはそんな風にばあちゃんに怒られたことないよ。」
と小言を言われても
「俺は俺やから。俺はママじゃないから。」
と、ごもっとも!なことをおっしゃるわけ。
まぁココでいうなれば
母ちゃんいつも父ちゃんの病院の付き添いで家におらんかったから、怒る暇も無かったってことなんやけど。どうもボケているのか、そのことを忘れているようだ。
と昔のことを思い出していると、あったあった腹の立つことが。
その頃グループレッスンで、ある習い事をしてたんだけど、レッスンが終わった後に先生に呼び出されて、いろいろと父親の病状のこととか聞かれたんだけど、
先生、おもむろに宗教団体のパンフレットを取り出して
「先生もいろいろと人生で大変なことがあったけども、この宗教を信じることですごく救われたことがあった。だからあなたやあなたの家族にも絶対にいい影響が出ると思うから、入信することを考えて欲しい。本当に救われるから。お母さんにこのパンフレットを見せて欲しい。」
って言われたんです。
…。
話は5分くらいで終わり、ワタクシを教室の外で待っていてくれた友達とそのお母さんに
「先生は何の話だったの?」
と聞かれたけども
「うーん。大したことなかった。」
としか答えようがないわな。
もちろん母親にそんなことを習い事の先生に言われたとも言えずに、黙ってたんだけど。
次の週に先生に「お母さん何か言ってた?」と聞かれたけども、適当にごまかしました。
まだ子供(ボンと同じ11歳)だったので、なんだか嫌な気分がしながらも「こんなこと先生に言われたって聞いたらお母さんが嫌な気分になるから黙っとかな。」と何もしなかったんだけど、
今から思えば、友達のお母さんに正直に「宗教を薦められた。」と言ったり、母親にちゃんと言って事務局に連絡したほうが良かったのかもな、と。
本当に子供だったな、と今から思い出しても自分自身にも腹が立つわー!
習い事してる生徒の家庭の弱みに付け込んで宗教勧めるなんてなんじゃあの先生(実はあの先生は好きじゃなかったけど)!
と思いながらも、自分自身の話でありながらもちょっと切ない話なのかもしれません。
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- 家庭
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2010.09.30 Thursday先日は子供がランチにイクラ丼を持っていって友達にどうのこうのと言われたことは書きました。で、昨日の夕飯はぶーちゃんが作ったインドカレー。
ぶーちゃんが「明日このインドカレーをランチで持っていくか?」
と子供に聞いたら
おじょう「持って行く!」
ボン「俺は持っていかへん。周りにごちゃごちゃ言われてうるさいからメンドくさい。」
ワタクシ「じゃあアンタは持って行きたくないねんな。」
ボン「そうじゃないけど、この間はいかなごを食べてたら小さい蛇を食べてるって言われて腹が立った。」
ワタクシ「じゃあ、いかなごは入れへんわ。」
ボン「いやや、おいしいから入れてほしい。」
…よく分らんけどな。
おじょうとボンは違う学校に行っています。ボンも去年まではおじょうと同じ学校に行ってました。
おじょうの学校はS市の金持ちエリア
ボンの学校は庶民エリアで、トレーラーパークに住んでいる子も通学している。
差別ではないけども(けど差別と認める)、家庭が良くないから、違う文化に対する理解がない子が多いのでは?と思う。
ボンのお弁当のことをあれこれ言う子も、前の学校から来ている子は言わないけど、今学校でフレンチイマージョンで同じクラスになった子がしつこいと言っていました。
それにボンが言うには「今の学校の方が悪い子が多い。前の学校にも悪いことをする子がいたけども、今の学校は本当に意地悪をする子が多い。びっくりよ〜。」
これはこれで、世間の荒波に揉まれるというか、世の中みんなお上品な家の子供ばかりじゃないということでいい経験だとは思うんだけどね。
前の学校の子供だってうちの子供の弁当を変だと思っていたと思う。それは理解できるわ。
けれども、たとえ変と思っても他人に対して「アンタ変な弁当持ってきてるな。」と子供に言わせない、そういうことを言うのは失礼だ、と教育している家の子供が前の学校には多かったような気がする。
やはりそれは親の教育レベルの高さ=経済力になるんかな、と。
それがカナダって国なんだろうな。負のスパイラルから抜け出せない、みたいなところ。
と偉そうに言ったところで、ワタクシも親の教育レベルが低い家庭の子供です、オホホ。けれども、他人が何してようと、周りに迷惑をかけることじゃなければ気にしないし、それにそんなことにいちいち口出しするなんて面倒だわ。
こういうのが続くようなら学校にクレームに行ってやる。日ごろから学校は bully free zone だと言っているので、こんな偏見は許さんぞ〜。それを避けるためにサンドイッチにしろと提案されても、うちの子は学校のランチにサンドイッチを持たせても食わんのじゃ〜。←これホンマ。
好きなもんを弁当に入れて何が悪い〜。
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- 父命日
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2010.05.07 Friday今日は父の命日。あれから12年もたったのかとしみじみしてしまいます。
父が死んでから12年たちましたが、この12年は自分にとっては「突っ走り続けた日々」という感じで過ぎてゆき、あまり深い意味で自分の人生などを考える出来なかった年月だったと思います。
12年の間に、結婚して、子供を二人生んで、カナダに移住してと、きっと父が生きていたら父も一緒にこの娘の選んだ山あり谷ありの人生について喜んだり、悲しんだりしたことでしょう。
ここ数年で子供も自分のことが自分でできるようになり、だんだん親の手から離れていきました。
小さかった頃は、一緒に公園に行って、一緒に遊具で遊んだり、お風呂に入るときは必ずそばにいて、ご飯を食べさせたり、一緒に手をつないで歩いたり、言葉を話せない子供を相手に表情で言いたいことをくみ取ったりと
「早く大きくなって手を煩わせなくなってほしい。」と願うことは小さい子供を育てる親にとっては一度くらい思うこと。
実際、子供が10歳近くになりなんでも1人でするようになって、友達の家に自転車で遊びに行ったりすると
「事故にあったらどうしよう。」と実は不安になってしまうワタクシ。もちろん病的なものではないんだけど。
自分の手元から離れる分、親が管理できない時間も増えて、こういう不安を持つようになるんですよね。
もっと小さい頃に面倒くさがらずに相手をしてやればよかった、とは後悔するものの、当時はがむしゃらで気が付かないんです。
子供も自分勝手なら、親も十分自分勝手じゃ!と思う瞬間。
このごろはボンが自転車、それもワタクシのセミプロ用ロードバイクで近所をうろつく時間が多いです。このロードバイクというのは車体が軽くタイヤも細く、そうしてかなりスピードが出るので転倒しやすいんですよね。ボンが出かける時に瞬間的に頭に浮かぶのが
「お父さん、どうかあなたの孫を守ってください。お願いします。」
という神頼みならぬ父頼み。
ボンが無事に帰ってくると
「お父さんありがとう。無事に帰ってきました。」
と感謝の合掌。
リビングでピアノを弾くボンの背中を見ながら、自分の子供を守ってくださいと父頼みするなんてワタクシも成長したよな〜、ようやく親らしくなってきたのかね、と思いました。
死んでもこうやって娘に影響を与え続けられるというのは、父は広い意味で私にとっての偉大な存在であり、そう思える親子関係を築けた自分はとても幸せ者だと思う。
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- 6年目
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2009.11.01 Sunday今日はカナダに来て6年目。
はぁ〜、たった6年ですか、と思ってしまうワタクシ。
昨日はサーモンフィッシングに行って、夜はハロウィーンとバタバタしていたので今日は家でのんびりしていました。
夜は近所のギリシャ料理を食べにいったんだけどね。
その時に「6年たってどうか?」と聞いたら
「うん、幸せ。帰って来てよかった」
そりゃー当たり前か、だって自分の国やし。
それに対するワタクシの返答。
「でもそれって私の精神的なダメージの上に成り立ってる幸せやから。そこらへん忘れんように。」
と言うと妙に納得されてしまった。
思いは複雑。
よくよく考えると、山に囲まれたきれいな街で広い家に住み、それなりにいい車に乗っている。
キャンプに行ったり、天然温泉、サイクリング、釣り、スキーなどなど。
子供のバイリンガル教育という点でもカナダに来て良かったと思う。
日本の食材も簡単に手に入り、日本人の友達もそれなりにいてたまに英語圏に住んでいることを忘れる。
たしかにいいことはいっぱいでそれは否定しない。
けども、けっこう精神的に負うものも多くて、
生活は潤ってても、だからカナダで幸せかというと
ちゃうかな〜。
結婚したことをホンマに後悔することも多いし。
あ〜やだね〜。
のようなことをぶーちゃんに言っていると
「たしかにアンタは大変よな。よくわかるわ。」
とフツーに言われてしまい
こういう話もかなり冷静に話せるようになったんだなと感動しました。←なんでじゃ?
そんなにカナダがいい国もと思えんけど、もうしゃーないわ、とあきらめモードってところですかね。
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- 8歳
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2009.02.04 Wednesday今日ふっと思ったんだけど、
ワタクシの亡き父が病気を発病して入院したのが12歳のとき。
ワタクシの弟は4つ年下なので、
「げ〜ボンの年で父親が病気になって、母親がいっつも病院に行って家におらんかったんか〜!」
と気が付いた。
ボンを見ていると、男の子だし、まだまだ母親に甘えたい年頃。
こんな小さいときにかわいそうになぁ。
と涙が出そうになった。
それに、こんな小さい子供を家に残して病院で付きっ切りの看病をしていたワタクシのオカン様だって
同じ母親として考えると、切なかったやろうなぁ。
としみじみ。
けども、まぁこういう体験をしてない人が「かわいそうだ」とか「切なかっただろう」思うことなのかも。
なんというか、もう本当に昔の過去になってきているので自分自身も子供のころのいろんなことを忘れてしまっているんですよね〜。
ここでかわいそうだとか言ってもらったところで
かわいそうだと思っていただいたところで
ワシの人生は変わんしのぉ。
それに対応して暮らしていくしかない。
もちろん、家族みんなが健康であることを望み、そうであれば一番いい。
けども、もし家族の誰かが病気になったり、大変な目にあったとしたら
「私ってかわいそう。家族が病気になるなんて。不幸不幸」
と思ったところで何も変わらないし、事態に対応していくしかない。
そーか、そーか、だからうちのオカン様って強いんよね。きっとそういう子供のことや、夫のこととかいろいろ全部まるごと受け止めて対応していったので
なんか一枚皮がむけているというか
エネルギーの塊
のようなところがあるんだろうな。
関係ないですが、ワタクシのまったく根拠のないすごく自信たっぷりのことがあるんですよ。
私と家族は絶対に変な病気で死なない。
これは父親が、すごく特殊な当時は薬もない病気で苦しんだので
これだけ家族の一人がすごい確立の珍しい病気になれば、いくらなんでも他の人間にはけったいな病気はやってこないだろう。
全部お父さんが私たちに降りかかる人生の病気のつらい部分を一人で背負って死んでくれたから。
というむちゃくちゃな理論なんです。
それを自信満々でぶーちゃんに言うと
「僕は信じるよ。だって僕はアンタの後ろにお父さんがいつもいて、僕を見張ってるような気がするもん。」
こわいわ〜。うちの人は思い込みが激しいから適当なこといってるんだと思うけど。
なんにしても、他人に対して日常のこと(インフルエンザでゲロゲロ〜、とか財布をなくしてトホホ〜のような)では「かわいそうに」と思い、思いやりを示すことは必要であっても、
他人の人生に対して
「かわいそう」
と思うような傲慢な考えは持たずに、自分の人生をできるだけあるがまま受け入れて生きていこう。
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- 暗くなること
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2008.05.08 Thursday最近天気も良くなり過ごしやすくなってきたS市です。
家の庭の桜も咲きだしました。八重桜と普通の桜(ソメイヨシノ?)の双子なんです。
なんだか、ガソリン代もバンバカ上がり、小麦の値段もあがり
あ〜、とため息。
一番痛いのがガソリン代。
日々の生活のガソリン代ではなくて、飛行機チケットのオイルサーチャージ(要するにガソリン代)。
前回の里帰りではシートセールという格安チケットの中のそのまた格安のチケットを買ったんです。その時のガソリン代はチケット代の半額。
それが最近だと、チケット代+それを上回るガソリン代を払わねばならないとか。まぁこれはチケット代が格安だからそう思うんでしょう。
トホホンだわ。
そんな話を電話でオカン様としていたんです。
いえね、里帰り中にオカン様に
「またお正月に帰ってこようかな〜。」
と言ったら
「あんたらが帰ってきたらお金がかかるから年内は帰ってこんでもええ。あんたもカナダでお金を貯めとけ。とりあえず1年は帰ってこんといて。」
って言われたんです。
で、ガソリン代が上がったから年に1回なんて日本に帰られへんかも知れんわ。お母さんは年内には帰ってくるなって言ったけど、そんなこと言ってたらあっという間にガソリン代がとんでもなく上がって日本に行かれへんようになるで。
と言ったら
「もう!そんなに脅さんといて!」
やってさ。
でもオカン様すごいのよ。
「そうなったらあんた1人で里帰りしたらエエねん。そうやそうや、あんただけ帰っておいで。」
…、孫に会いたくないのでしょうか?
「だってその方があんたらだって経済的に楽じゃない?子供の飛行機代だって高くつくやん?」
そ・・・そりゃそうですが…。
まぁ、やっぱり孫よりも娘のワタクシのほうがカワイイのね、ウキュ!
とふざけて言うと
「当たり前やんか。おかあさんはな、あんたが幸せなのが一番大事や。ボンもおじょうもあんたの子供やからかわいいんねんで。」
エエこというやないか!と思っていたら
「だからあんたがぼんとおじょうを邪険に扱うのが理解できん。お母さんはあんたをいっつも大事に思ってんのに。なんとかしたら?」
フ・・・やっぱりお説教かいな。
まぁいいのさ、いいのさ。また来年子連れで帰ってみせるさ!
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